Posted on 2011/02/19, 2:58 PM,
太陽信仰.
古代エジプトでは、ラーという神を太陽神として信仰の対象としていました。ラーの語源はそのままRa(太陽)です。
毎日の日の出、日の入りと共にラーの姿も変形すると考えられていたようです。
エジプト以外にも2012年12月22日の暦の終焉で注目を浴びるマヤ文明においても「キニチ・アハウ」という太陽神を信仰する習慣があったと言われています。また、マヤ文明は自然のあらゆるところに神が存在するという考えを持っていたようで、それは日本の八百万の神信仰ともつながるものがあるように感じられます。
その日本においても知って通り、神道における信仰の対象は、天照大神であり、天照大神はすなわち太陽のことであります。従って、我々日本人も古来よりの太陽信仰を持っていて、今もなおその信仰を続けているということになります。意識的には信仰するという気持ちはないかもしれませんが、無意識下では民族として2000年以上に渡ってその信仰を守り続けているというのが日本の姿なのです。それは、国旗が日の丸であることに象徴的な意味があると言えるでしょう。
日本における信仰のはじまりは、自然に対する畏敬の念と言うことができるでしょう。
我々日本人は、原初の人類と同じく豊かながらも時に厳しい自然環境の中にずっと身を置いてきました。その時に荒れ狂う自然を治める願いをこめて、古くから山や森などの自然を神として祀り、信仰の対象としてきたのであります。
このことは、八百万の神としてありとあらゆるものや自然に神が宿るという考え方に現れています。
自然に神が宿るという考え方は世界各地で見られるものですが、日本ほどあらゆる事象に神を見る信仰のスタイルを見ると、いかに昔の我々の祖先にとってこの国の風土が豊かでもあり、厳しくもあったかということを伺い知ることができます。
また、もうひとつの特徴として、日本における信仰においては、神は願いをかける対象としてだけではなく、感謝を捧げる意味が信仰に含まれているということでしょう。
古代の宗教の多くが、神との取引をするかのように、生贄を捧げていたのとはことなり、平穏無事であったことに感謝の念を捧げる意味合いで例えば作物をお供えしてきたのであります。
現代には非常に多くの宗教が存在し、その宗教毎に神が存在する。
そして、その信仰の仕方や神の求め方もそれぞれに違いがある。
だがしかし、我々人類はなぜ宗教、ひいては神を必要としてきたのだろうか?
簡単に言うなれば、それは自分の手に負えない事象をコントロールしたい(してほしい)という願望が元になっていると考えられる。
例えば、大きなハリケーンに遭遇する。
遠い昔の我々の祖先はそのハリケーンの前に余りにも無力で、きっと住居など生活の基盤をなすすべもなく破壊されただろう。
それは、ハリケーンじゃなくて地震かもしれない。あるいは天災ではなく、他の生物による食糧の略奪や仲間の喪失だったかもしれない。
おそらく、そうした自己のコントロールできる範囲を大きく超えたことに遭遇したことが神を求めるきっかけになっていることは想像に難くない。
信仰のはじまりとも言える、この原初の姿が今日のあらゆる宗教の信仰スタイルの元になっている。
要するに、それは神を自己の外に求める信仰スタイルである。