ウソのような本当の話
前回、潜在意識から提供される様々な思考の手放し方について記すと書きましたが、そこに行く前に私個人の体験を少しお話したいと思います。思考を手放すことによって得た特異な経験だと思っていますので参考になれば嬉しいです。
私は、現在一台車を所有しています。今年に入って様々な周辺環境の事情から乗り換えを検討することになりました。私は車に限らず、所有するモノに対してはそれなりに納得した上で手に入れたいと思う性分です。値段の高い安いは関係なく、自分の価値観に合うモノであるならば高くても、安くても手に入れられる範囲で所有したいと思う性格です。
それで今回車を買い替える意思を固めたのですが、私が欲しい車というのが車種や値段などの面から考えるに一つしかありませんでした。それで、現在の車の車検に行った際に何気なく聞いてみたわけです。
「そろそろ乗り換えを検討していて、新車の在庫ってありますか?」
と。
対応していただいた方の返答は私が予想もしないものでした。
「申し訳ありませんが、現在一台も在庫がありません。実は昨年の秋に生産が終了しました。」
正直まったくの予想外であることにビックリしたと共に既に新しい車に乗る自分をイメージしていたのでそのショックは少なくないものでした。また、事前にオフィシャルホームページを見た限りでは、そういった情報もなかったため余計にショックが大きかったです。
更に追い打ちをかけるように、何でも私が乗り換えを検討していた車ですが、デザインを担当していた方が手を引き、今後はまったく違うデザインの車しか販売されないであろうという情報もいただきました。こうなると、欲しい車がない以上買い替えを控えるしかありません。現在の車を譲るはずであった父親にも残念な思いをさせてしまうだけでなく、すでに動き出していた周辺に調整をしなければいけません。当然私は戸惑いましたが、途方にくれる帰りの電車の中でここで一つのことを思い出したんです。
それは、
世の中で起きているように見えるコトはすべて私の脳内で再生されるコンテンツ(記憶)に過ぎない
ということです。それを思い出した私は、帰りの電車の中で妻の言うこともそっちのけで、ホ・オポノポノの手法を使ってひたすらに頭の中で繰り返しました。
私の潜在意識さん。私はあなたのことを愛しています。
今回、欲しいと思っていた車の在庫がないという残念な“記憶”が残っていたことを私に提示してくれてありがとうございます。
今までこの“記憶”を私の中に放置していたこと、ごめんなさい。そして、どうか許してください。
私はこの“記憶”を愛し、そして手放します。その機会を与えてくれてありがとうございます。
という風に。
ここからが、今回の標題の話なのですが、この作業を頭の中でひたすらに繰り返した後、家に帰って懇意にしているディーラーの営業マンの方に電話しました。先ほどないと言われたんですけど、やっぱりないですよね?と。
30分後。折り返しの電話で使えられたのは、次のような言葉でした。
「なんと、日本で一台だけ眠っていた在庫が見つかりました!」
欲しいと願っていたモノが見つかって、嬉しさに歓喜したことは言うまでもありませんが、直感的に思ったのは、やはりすべてこれら事象は私の脳内で再生されているコンテンツなのだ、ということでした。
私は、普段自分の身の回りに起きていることをDVDなどが再生するコンテンツと捉えています。今回私は帰り道の中で現在再生されている「車が手に入らない」というコンテンツの再生をホ・オポノポノによってクリーニングし、手放すことによって「車が手に入る」というコンテンツを再生しようと試みたわけです。私の妻はこうしたことを一切信じないタイプなのですが、たまたま運がよかっただけと言いながらも真剣に私のこの話を聞いていました。
私の感触では実相は運がいい・悪いということではありません。いい運と言われるものは、悪い運と言われるコンテンツの再生を自覚し、それを手放すことによって潜在意識を通じて超・意識(真我)よりもたらされるものです。今回私の身に起きたことは、そのコンテンツを手放すということがうまくいったということ、というのが実相です。
この話をどう捉えるかは人それぞれですが、ウソのような本当の話ということで潜在意識の理解の助けになればと思いここに紹介させていただきました。
最後に、私に潜在意識や真我といったものを考えさせてくれる機会やホ・オポノポノなどの理解を助けるツール(しかもこれらはすべて無料)との出会い系を提供してくださった方に感謝を申し上げたいと思います。
今日もありがとうございます。





